レア・ストーリーズ【ファブリー病の患者さんの声】 ヨシエさんご一家(4歳-11歳) 日本
希少疾患のための薬にかんする教育や意識啓発に取り組みたい
テルキ(6歳)がボールを転がし準備を整え、ネットに向かってシュートする。彼の兄、ダイチ(9歳)がゴールを守る。ときには友となり、それよりも良きライバルとなることが多い2人だ。
午前中ずっと諍いを続けていた2人。弟、テルキの激しい目つきが、この闘いを終わらせようとしていることを物語っている。
結末はドラマチックだ。テルキがボールを強く蹴る。強すぎた。ダイチが反応する間もなく、ボールがネットから跳ね返る。ちょうどそのとき、長男のソウト(11歳)が現れ、素早くボールの主導権を握る。2人の弟たちのあいだをドリブルし、彼らを圧倒するスキルを見せつける。テルキは見向きもせずに、弟のトキヤ(4歳)を探しに走り出す。トキヤはおもちゃのトラックとぬいぐるみで、誰とも競い合わず1人で満足して遊んでいる。
4人も男の子がいる家は、1年中、家のなかでサーカスのような大騒ぎが繰り広げられています。サッカーに始まり、スケートボード、おやつの取り合い、父親に肩車をしてもらうために並ぶ、などなど。4兄弟は1日中、公園を走りまわり、勇敢に木に登り、大声でけんかし、そして笑っています。
ユキさんとジュンジさんは、愛情いっぱいで、遊び心に満ちた親です。互いを愛し、支え合っている様子がわかります。子どもたちに勇気を与え、常にポジティブなものごとのとらえ方を伝えようとしている2人。そして4人の息子の悪ふざけにたいする忍耐力も持ち合わせています。
このような子育ての姿勢は、ユキさんと上3人の息子たちがファブリー病であることを踏まえると、心を打たれます。ファブリー病は進行性で稀な遺伝性疾患です。身体、特に手足にしびれや焼けるような痛みが出たり、心臓や腎臓、ほかの器官の機能に影響を与える場合もあります。
ヨシエさん一家にとって、ファブリー病は世代をこえ、家族という織物を紡ぐ糸のようなものなのかもしれません。2人が出会った場所は消防署でした。24歳だったユキさんは消防署の火災予防の部門で働き始め、そこにジュンジさんがいたのです。消防士のジュンジさんは、仕事熱心で運動神経も抜群。知り合って1年半後に結婚しました。
子どもたちがまだ幼いころ、世界は輝きに満ち、「ファブリー」という言葉を聞くことも、その病気について知る必要もありませんでした。
「ファブリー病は私の母の家系の遺伝です」とユキさんは言います。ただ、そのことはユキさんの弟が大人になり、重い症状を患うまで誰も知らなかったそうです。「弟がまだ小さかったころ、足に強いしびれがあったことは覚えています。でもそれは成長痛だと思っていました」。
ところが弟が40歳を迎えたとき、症状が著しく悪化したのだそうです。「大人になってからは常に疲れていて、ひどい頭痛持ちでした。でも病院に行く時間がないほど仕事が忙しくて…」
弟は、何度か脳卒中を起こし、腎疾患を患うようになりました。そのうち、普通に仕事することができないくらい物事を覚えていられなくなり、「これはおかしい」といろいろな検査をした結果、「ファブリー病だということがわかりました」。
ユキさんの弟は、間もなく仕事を辞めざるを得なくなり、現在、広島で妻と子どもと一緒に暮らしています。「今ではいろいろなことが1人ではできなくなっているんです。信号が赤に変わるといったこともわからないくらいに」。
弟の健康状態が悪化し出すと、家族は「ファブリー病」にたいして触れなくなりました。「弟の身の回りの面倒はみるのですが、背後にある病気については話さないんです」。
そんな家族の様子を見て、ユキさんは日本における遺伝性疾患にたいする厳しい偏見を改めて知ることになりました。遺伝性疾患はいまだにタブー視され、病気になるのは行ないが悪かったからだと信じている人も、残念ながらいるとユキさんは感じています。
「母は弟の近くに住み、弟の病状が悪化するのを見てきました。あるとき、ぽつりと私に言ったんです。『もしこの病気のことを知っていたら、子どもは生まなかったのに』と。自分の娘にたいしてですよ」。
弟の具合が悪化していくなか、ユキさんの母親は何も説明しませんでした。「弟の病気は遺伝性のものであると知っていたはずなのに、一言も言ってくれなかった。母の病気にたいする態度は、世間一般の考えが元になってるんでしょう」。ユキさんがファブリー病が遺伝性疾患だと知ったとき、最初に思ったのは子どもたちのことでした。若くして脳梗塞で亡くなった祖母のことも思い浮かべたと言います。「お祖母ちゃんもファブリー病だったのかしら」。けれどファブリー病について、それ以上に話は及びませんでした。
その後、長男のソウト君が症状を訴え始めたとき、「まるで家族の秘密が解き明かされていくようだった」とユキさんは思い返します。「ソウトがとても痛がっていると、学校の保健の先生から電話をもらったんです。神経的、精神的な面も検査しましたが、何もわからなくて。そのとき、ファブリー病の症状のひとつにしびれと痛みがあったことを思い出したんです」。
一家は遺伝子検査を行ないました。ユキさんと上3人の息子たちの「陽性」という結果に、ユキさんとジュンジさんは打ちのめされたと言います。「DNAの遺伝子が1つだけ違うんだそうです。DNAという大海のなかで、たった1つ、違うだけなんですけどね」。
ユキさん自身はファブリー病の症状をほとんど経験していませんが、「3人の息子が苦しむ姿を見ていることの方がつらい」と言います。3人とも手足に痛みとしびれを感じていて、身体的な活動に支障をきたし始めているのです。
ユキさんとジュンジさんは、何ができないのかではなく、何ができるのかにフォーカスすることを懸命に教えています。「しびれがあるので、暑い夏の日中、サッカーをすることはもうできなくなりました。だから室内でできる卓球に変えたんです。彼らのニーズにこたえられるよう、できることはしてあげたい」。
2人はファブリー病の最新の治療方法について情報を集め、「長男と次男は酵素補充療法(ERT)を受けています」。また、点滴が効き目をもたらしていることや、大人になって診断された弟に比べて診断が出たのが早かったことに感謝しているとも言います。
「もちろん不安な気持ちはありますよ。怖いと思ったら、この病気はとことん怖くなる病気ですから。 ただ、そういう思考回路にはまることのほうが怖いですね」。
ユキさんの神への信頼が、今この瞬間につなぎとめるための大きな助けとなっています。「落ち込むことは誰にでもできます。でもそこではない。明日、悩めばいいことは、明日、悩む。今、この瞬間に集中する。人生で起きることに偶然はないと思うんです。神様は私たちにこの特別な人生を与えてくれた。きっと何か壮大な計画があるんでしょう」。
ユキさんは、「ファブリー病は、試練だけでなく、贈り物も一家に与えてくれた」と話します。ユキさんは教会や地域コミュニティーの一員ですが、ファブリー病のおかげで、オープンに話せる大切な人々と知り合えたと感じているのです。さらに、日本の社会における遺伝病への偏見を覆したいという気持ちもあります。
「日本はまだまだ閉鎖的。ファブリー病だからと指をさされることもあるでしょう。でも国際化が進み、もっとオープンにならなくてはいけません。世界と協力する時代が来ているんです」。
ユキさんには、日本の遺伝病にたいする文化的沈黙を破るという大きな夢があります。遺伝について知ってもらうための絵本、おもちゃ、ゲームを作る――こうしたものを通して、「DNAがさまざまな驚くべき素晴らしい形で生命を生み出していることを知って欲しいですね」。遺伝子をモチーフにしたファッションやアクセサリーのデザインまでも思い描いているそうです。
「DNAには素晴らしい計画がある、そしてそれは神様から与えられているものだ、というメッセージを送りたいんです」。
ユキさんとジュンジさんは製薬会社やほかの人たちとともに、希少疾患のための薬にかんする教育や意識啓発にも取り組みたいと考えています。
「息子たちが成長していく過程において、周囲の人々がどんな反応をするんだろうと思ってしまうときがあります」。だからこそ、子どもたちが就職したり、結婚したりするときに、負の影響を与えるような偏見をなくしたいと望んでいるのです。
「私たち患者のことをより多くの人たちに知ってもらえれば、偏見も少なくなるでしょう。すでに遺伝病を受けとめてくれる人たちもいる。良い方向へ向かう第一歩を踏み出しているという感覚はありますね」。
まだファブリー病が完治する治療法は見つかっていませんが、「私たちのために薬を作ってくださるすべての会社に本当に感謝しています。希少疾患の薬はあまり利益の出るものではないと聞いているので」。
子どもたちのことを、愛情をこめて「だらしなくて落ち着きのない、いたずらっ子たち」と呼ぶジュンジさん。「彼らが生きているあいだに医療が進歩し、彼らも、そしてほかのファブリー病の患者さんたちも健康で豊かな人生を歩めるようになる。また、家でも公の場でも、ファブリー病について話していれば、日本の病気にたいする壁や偏見が取り除かれ、子どもたちに豊かな社会を手渡すことができると信じています」。
※記載の年齢はすべて取材時のものです。
レア ストーリーズは、Amicus Therapeutics, Inc.が作成したRare Storiesを翻訳したものです。
https://www.amicusrx.com/advocacy/rare-stories/
NP-NN-JP-00031120
2020年12月作成