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レア・ストーリーズ【ファブリー病の患者さんの声】 ヨシエさん(37歳)とソラくん(9歳) 日本

ヨシエさんとソラくんの写真

ソラくんは注意深く、すべり台の階段を上っていきます。弾けるかのように、激しく動きながら。そして最後の1段を上り切る前に止まって息を整え、踊り場に立って公園を見渡し、誇らしげな笑顔を見せます。その姿は、まるで自分の庭に立っている王様のよう。深呼吸してすべり台を一気に降りたら、力をこめて、しゃがんだ姿勢からぐいっと身体を押し上げて立ちます。

この一連の動作は、ソラくんにとっては決して簡単なことではありません。だからこそ、彼の喜びは手に取るようにわかります。滑り降りるたびに、喜びが増していくかのようです。

遊び疲れたソラくんは、公園の端にあるベンチに向かいます。ベンチに座っている母親のヨシエさんは、キスの代わりに大きな飴を差し出し、2人は同じ声で笑い合うのでした。
ヨシエさんは、これまでファブリー病のさまざまな症状を見てきました。母親が生前この病を患っていて、彼女自身も、さらに息子であるソラくんも同じ病気だからです。
痛みを伴う症状となんとか折り合いをつけながら、ヨシエさんと家族は、ファブリー病がもたらす困難を乗り越え、普通の生活を保とうとしています。

ヨシエさんは、母親の病気のことを知らずに育ちました。「ほかの子どもと違う」という思いを持たずに育って欲しいと母親が願っていたからでした。そのため、何年ものあいだ、ヨシエさんは原因がわからないまま、ひどい神経障害性の疼痛と闘っていたと言います。
「5、6年生のころは本当に痛みがひどくて、あまりの痛さに毎日、学校から帰ると泣いていました。でも、母からは『なんでもないよ』と言われていたんです。母は一切、病気には触れなかった」。

しかし、徐々に身体に症状が現れはじめ、思春期に入ったころ、それが無視できないほどになりました。中学生になると身体を動かすことも困難になり、「校庭を何周も走らなくてはいけないときがあったのですが、ものすごく痛くて。
『暑い』とか、『痛い』などと訴えても、母は『みんな痛いの。成長痛よ』と。でも私は『何かある。おかしいな』とずっと思っていたんです」。

彼女の疑問と不安にたいする答えは、16歳で母親からファブリー病であることを告げられたとき、ようやく明らかになりました。「そこから自分の症状と折り合いをつけていくことを学んだんです」とヨシエさんは言います。「でも、本当に長い時間がかかりました」。

自らの健康状態を管理しながら年を重ね、ヨシエさんは結婚しました。「初めは子どもが欲しいという強い願望はなかったんです」。しかし、時とともに気持ちは変わっていき、子どもを授かろうとして不妊治療やIVFも試みましたが、子宝には恵まれなかったそうです。

「3年間、頑張ったけれど、妊娠しませんでした。もう嫌になってしまい、大した期待もせずに『今回で最後!』と思った最後のIVF治療が、奇跡的にうまくいったんです」。
ヨシエさんは妊娠したことを知りました。しかし、ヨシエさんはあえて妊娠中にファブリー病の出生前検査はしなかったと言います。
「でも、どこかで『ファブリー病だろうなぁ』とわかってもいました」。ソラくんは元気に生まれましたが、1年後に遺伝子検査を行ない、ファブリー病であることがわかりました。
「彼の診断が出たときは複雑な心境でした。ショックだったのですが、その一方で仲間ができたという気持ちにもなったんです」。

以来、8年間、2人は強い絆で結ばれています。その後、ファブリー病の子どもが生まれる可能性はありましたが、ヨシエさんは再び出産を決意。
アイラちゃんが生まれましたが、彼女はファブリー病ではありませんでした。2人の子どもを授かったことで、ヨシエさんは自分の健康についてもっと学び、ファブリー病とともに、より積極的に生きていくことを決心したと言います。
「私は母とは違い、ソラにファブリー病について真実をありのまま伝えてきました。ファブリー病にかんする子ども用の本を持っているので、それを読みながら病気について話したりもします」。

現在、ソラくんはヨシエさんと一緒に定期的に治療を受けています。隔週の土曜日、自宅から、2時間かけて病院へ通うのです。
ヨシエさんは酵素補充療法を12年間受けていますが、「今は2人で一緒に点滴を受けています」。そんな治療と治療のあいだに勉強するソラくん「今は小学2年生ですが、1日でも学校を休むと、遅れを取りますから」とヨシエさんは言います。
「彼は勉強が好き。最近は磁石と電気を作ることに夢中みたいですね」。
ある朝、早く起きたソラくんは、ヨシエさんの裁縫箱から針を取り出して磁化させ、紐を結んでいたそうです。「この針をアルミフォイルで擦ると、北を指すそうですよ」とヨシエさんは笑います。
度重なる通院生活が、幼いソラくんの科学と医学にたいする興味を芽生えさせました。

「ソラは生まれた病院で治療を受けています。この病院で将来働くことが、彼の夢なんだそうです。仕事の面接では『僕はここで生まれ、育ちました!』と胸を張って言えるんじゃないかな」。
ソラくんのお気に入りの本に、人間の解剖学の本があります。いつも手にしてはページをめくっているそう。特にMRIにかんするページがお気に入りで、「医学における磁気の利用と、人間の身体の複雑さに魅了されているようです」。

今もヨシエさんの腕や脚をひどい痛みが襲います。その痛みが頭部にまで広がるときもあります。でも、「くったくのないソラと過ごす時間が、痛みを忘れさせてくれます」。
常につきまとう身体の痛みだけでなく、ヨシエさんは母親を失った悲しみとも向き合っています。

ヨシエさんの母親はファブリー病による心臓の合併症を引き起こし、数年前に亡くなりました。
母親の心臓は年とともに弱くなり(心筋症)、ペースメーカーを入れる手術をしたものの、手術は計画通りには進まず、結局、寝たきりになったと言います。
「血管から出血し、血が溜まってしまって。そして心膜(心囊)の周りに血液が充満し、心臓から血液をうまく送ることができなくなってしまったんです」。

母親はそのまま意識を失い、再び目を覚ますことはありませんでした。母親の死と向き合うなか、「自分やソラの健康にはこれまで以上にきちんと対応していこう」とさらなる決心をしたヨシエさん。「ファブリー病の専門医に定期的にかかるようにしました。私の場合、腎臓が問題なんです」。

日本では、「ファブリー病の患者を治療したり受け入れることのできる病院や医師は、ほんの一握りしかいません」。
そのため、歯医者や定期健診でさえ、専門家のいる病院に行かなくてはならないのだそうです。

「ソラがニコニコと楽しそうに病院の廊下を歩く姿が、私は好き。看護師さんやお医者さん、病院のスタッフさんたちがソラと友達のように接してくれるのもありがたいですね。みんなソラのことを知ってるんです」。
MRIや医学の謎がどこかに潜んでいないか、好奇心いっぱいの目で部屋のなかを覗いてまわるソラくん。目を閉じ、お医者さんや技師になった自分を想像することもあるでしょう。最新の技術を使って病気を治したり、人体の不思議を探求している姿を。

看護師さんが点滴の準備をしているあいだ、ソラくんはその動きをじっと見守っています。「点滴は以前、つらい経験でした。でも成長とともに彼の理解も増し、態度が変わってきました。
もう点滴のときも泣きません。前はいつも泣いていたので、私もつらかった。でも今ではソラとスタッフのやり取りを楽しめるほどになったんです」とヨシエさんは言います。

ソラくんは検査のあいだ、看護師と冗談を言い合い、医療現場に明るい火を灯します。医師に面白い顔をして見せ、周囲を笑顔にさせるソラくん。こういう瞬間に、ヨシエさんはソラくんにファブリー病のことを伝えて良かったと思うのです。「大きな影響を与える前に打ち明けておいて良かった」と。

「この病気をソラに与えてしまったと、深く悩んでいた時期もありました。でも落ち込んでいたある日、世界にはもっと苦しんでいる人がいる。泣いていても何も解決しない。いつもできるだけ笑っていよう、と決めたんです」。

今、ソラくんはヨシエさんと同じようにこの病気をとらえています。「ソラがよく言うんです。『笑う門には福来たる、でしょう?』って。私の一番好きなことわざなんですよ」。「落ち込んでいたある日、世界にはもっと苦しんでいる人々がいることを思い出したんです。泣いていても何も解決しない。いつも、できるだけ笑っていよう、と決めました。」

※記載の年齢はすべて取材時のものです。
レア ストーリーズは、Amicus Therapeutics, Inc.が作成したRare Storiesを翻訳したものです。
https://www.amicusrx.com/advocacy/rare-stories/

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2020年12月作成